PROFILE
ふるさと(出身地)
日本一美しい港町「神戸」
家族構成
3人姉弟の末っ子長男
好きなタイプ
松下奈緒 妖精ですね
好きな場所
芦屋市奥池
休日の過ごし方
土曜はニートみたいな生活。日曜はだらだら仕事
座右の銘
幸せとは香水のようなものである。その香りを他の人々と共有するためには、
まず、その数滴を自分自身に振りかけねばならない。
資格経歴
USCPA2科目合格(FAR&BEC)
BATIC(Accounting Manager Level)
VITA(The Volunteer Income Tax Assistance)
AUTOBIOGRAPHY
沖縄県那覇市で産声をあげる
- 1歳半で神戸に引っ越し
- 4歳で末っ子長男の利権を使いわがままを言い始める
- 小学校は平凡な地元の小学校に入学
- 小学校1年のときに、親が絶対に辞めさせてくれなかったピアノ教室を突如辞めて良いと言われ有頂天に(※後程追記有)
- 通知表は3段階評価の最低点で埋め尽くされる
- とにかく勉強ができない為、親が特別学級への編入を検討し、学校に相談する
- 小学校中学年になり落ち着き始める
- 小学校4年になり塾に通う
- 算数に目覚める
- 中学受験半年前ぐらいになり国語で偏差値7.1を叩き出し、親が塾に何かの間違いじゃないか確認するも、紛れのない事実であることに絶望する
- 本命の中学受験では受験番号001という素晴らしい番号を親が早朝に並んでGetするが普通に不合格
- 滑り止めの学校の面接で将来の夢をピザ職人と語り合格
- 中学ではジャイアンに可愛がられ、お昼時間にはパンを買いに行くという過酷な試練に耐える
- 2年の時に、親に成績表を見せる前に「あなたはもういいよ」と言われる※転換期①
- ジャイアンが退学処分になり、暗黒時代が終了
- 3年になり、中国の歴史小説「史記」を読み漁る
- ちょっと勉強が好きになる
- 塾の帰り道に友人と会い、友人の通う学校の話を聞き、高校受験する事を決める
- 得意科目は理系だが文系受験を選択してしまう
- 英語に苦戦するも、なんとか合格する※転換期②
- 入学するも、お坊ちゃま学校だった為、格差を初めて理解する
- 同級生、上下級生、先生等全てが平等な文化が浸透する学校に感動する
- 高校では活発に活動。部活、委員会、勉強、全て両立する
- 部活でインターハイに出場(県内に2校しかないマイナースポーツ)
- 国体選手に選ばれる(県内に2校しかない)
- 目を怪我してドクターストップ※転換期③
- 本を読みだす
- なぜか明確に覚えていないがコスタリカに留学しようと決意
- 担任が書類を期限内に留学団体に送っていなかったことが発覚してコスタリカ留学は断念
- やっぱり留学したい!と思い、留年してアメリカに留学する事を決める
- 勉強しまくって、学年一位になるが、防衛初戦で敗退
- アメリカに留学する※転換期④
- 留学中に同級生が卒業。担任が誤って卒業アルバムをキャンセルする
- アメリカを満喫して、帰国
- 通っていた学校が好きすぎて、大学受験は内部進学と見せかけて、外部受験で留学できるプログラムに入る
- 外国人教師からの洗礼を受けて、一ヶ月で体重5kg減る
- ウォーレン・バフェットの「会計はビジネスの言語」という言葉に感銘を受けて会計の勉強を始める※転換期⑤
- アメリカに2度目の留学をして、会計を勉強する
- 帰国後、海外の会計大学院進学を決める
- 大学院卒業後の就職率にビビり進学から就職へ変更
- 就職留年するが、すぐに内定をもらい、会計の勉強を再開する
- 米国公認会計士試験2科目合格するが、残りの科目を勉強したくなくなり、断念
- 車にはまり、車屋さんに入り浸るようになる
- 大手人材紹介会社に新卒で就職する
- 病んでしまい、3ヵ月未満で退職
- 退職後1ヶ月間ひきこもる
- 第二新卒ナビに登録&Kuniyukiさんに出会う
- UZUZでインターンを始めるが、裏切り別の会社へ
- 別会社ではバックオフィス・広告コンサルティングを担当する
- 専門知識を深めたいと感じ退職を決意
- Kuniyukiさんに相談
- UZUZに出戻りする
INTERVIEW
米国公認会計士を目指したきっかけはなんですか?
数字には意味があると高校時代にとある経験から学んだのが事の発端だと思います。その後、留学や上述したウォーレン・バフェット氏の言葉に触発されて、米国公認会計士を目指しました。ただ、会計士になって監査法人に入りたいとか、会計事務所を開設したいとか、そんな事は考えたことありませんでした。文系なのに数字が好きだったので、数字に関わる学問を勉強したいと思っただけですね。
どのように勉強を続けていましたか?
ダブルスクールでした。私の所属する大学のコースは17:30まで授業があったので、終わったらすぐに資格学校に行き、DVDレクチャーを受けていました。休日はほぼ終日、資格学校で授業を受けたり、自習していました。今思うと本当に良く勉強していたと思います。米国公認会計士は難易度がそこまで高くないので、社会人の方も結構受講していたのですが、今思えば社会人であの勉強量はすごいと思います。自分はあくまで学生だったのでまだ楽でしたね。
試験後はどのように過ごしていましたか?
試験後は、就職先の内定ももらっていたので、遊んでいました。これでもかってくらい遊んでいたので、今は遊びたいという感情はあまりないんですよね。この時遊んでて、良かったなと思います。この感情が社会人になって無いというのが救いです。
資格に未練はありますか?
無いと言えばうそになってしまいます。必要に応じて再度取得を目指すことはあるかもしれませんが、現時点では必要性を感じておりません。資格が自身のキャリアの障壁となるようであれば、勉強を再開すると思います。今は経理業務さえまともにできない状態なので当分先になりそうですね~~
資格の勉強を通じて得られたことはなんですか?
あまりないです。会計の知識はつきましたし、今仕事で役に立つこともたくさんあります。しかし、それ以外の感じたことや得た教訓はありませんね。
強いて言えば、好きな事を学ぶのは早いということぐらいです。当たり前かもしれないですが、やはり好きな事や得意な事を伸張できるような体制をとっていきたいです。